たまには「信仰」とか「懐疑」について・・・

Posted by admin on 10 4月 2009 at 06:50 am | Tagged as: Poetry&Philosophy

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たまには信仰や信仰への懐疑について書いてみたいと思いました。

特定の言葉や象徴にすがることは内的な行為としては問題ないし、
その質によっては美意識にあふれた独自の文化を深めたりします。

だけど、それを他者に求めたり、他者を評する基準にしたとたん、
その言葉や象徴は、異なる要素に対する被害意識と攻撃性を孕み
始め、人が無意識に陥りがちな心理的な弱さを露呈させてしまう。

そもそも不可知なる次元に対して、どこまでも無知である事実に
納得し、そこに健全な生命感覚の喜びをはたらかせていくならば、
およそ人を介して世に出た物事に心を奪われてしまうことはなく、
本来の自分でいることの当然の権利と心の自在が保たれるはずです。

その意味で、人間の尺度で取り決められた信仰の形や考え方から
自由であるということは、最も誠実な宗教的態度なのでしょう。

特定の言葉や象徴とは「善悪を知る木の実」に比喩されるような
思考の罠とも、記憶の蓄積という機能ともリンクしていくけれど、
「はじめにコトバありき」の「コトバ」の意味が不可知なる次元
から流出した特異点のようなはたらきを示してるのであるならば、
その実態は「山のあなたの空とおく」ではなく、全ての「私」の
内に宿るものなのだという事実をもっと実感していたいと思います。

朝方の文章らしく愚にもつかない抽象言語の羅列になってしまっ
たけど、注ぎ出たコトバを確認しておきたいとおもった次第です。

たぶん、分り易く語る才能がないから図案を描いてるんだと思います。。


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